米田吉盛(神奈川区)

設置場所:横浜市神奈川区六角橋3-27-1 神奈川大学 横浜キャンパス3号館1階展示ホール
制作者:柳原義達(1910 – 2004)、1970年日本大学芸術学部主任教授。1996年文化功労者。
建立時期:1960年11月1日 神奈川大学同窓会が建立し大学へ寄贈
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:米田吉盛(よしもり、1898年11月10日- 1987年5月17日)先生は、日本の教育者。神奈川大学の創立者であり、昭和期の政治家である。衆議院議員(4期)。愛媛県喜多郡満穂村(現:内子町)論田で、村役場の書記を務める父の元に生まれる。しかし、米田が1歳の際に両親が離婚し、祖母の元で育てられた。尋常小学校を卒業後、京都の呉服屋に丁稚奉公に行く。しかしながら、この丁稚奉公は1年で切り上げ、米田15歳の夏、第一次世界大戦後の景気に沸く台湾・基隆の山本金物店に勤め、数年のうちに責任を任された。この時、米田は資金を貯めて中学校に進学することを決意した。1918年に徴兵検査を受けるが、丙種合格(現役に適さない)となったため7月に上京し、四谷の新聞配達店で働きながら当時の攻玉社中学校に編入し、勉学を積んだ。攻玉社を卒業後、中央大学専門部法学科に入学。1927年、金融恐慌が起こり、銀行の統廃合が進む一方、特に農村は深刻な不況に見舞われた。こうした混乱した社会に「民族の危機」を感じていた米田は、自分と志を同じくする中正堅実な青年を一人でも多く育成するという使命感を持ち、1928年横浜学院(横浜専門学校を経て、のちの神奈川大学)を開院した。横浜学院の設置学科は夜間部の法学科と商業経済科の2科であった。米田の学校創立事業には3人の協力者がいた。中央大学の恩師林頼三郎、樋貝詮三、太田哲三である。米田は太平洋戦争戦時下である1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で大政翼賛会の推薦候補制度が導入される中、「政府が選挙に介入することは公選精神に反する」としたことから、非推薦で立候補して当選し中正堅実を実践している。

本像台座側面の銘盤に以下の記載がある。
米田吉盛先生経歴
明治三十一年十一月十日 愛媛県内子町に生まれる
大正十五年  中央大学卒業
昭和三年   横浜学院設立
昭和四年   横浜専門学校創立
昭和十七年  衆議院議員(以後通算四期)
昭和二十二年 横浜専門学校校長
昭和二十四年 神奈川大学初代学長
昭和二十六年 学校法人神奈川大学初代理事長
昭和三十九年 横浜文化賞
昭和四十四年 勲二等旭日重光章
昭和五十三年 学校法人神奈川大学名誉理事長
昭和五十四年 内子町名誉町民
昭和六十二年五月十七日 永眠 正四位
この「創立者米田吉盛先生之像」は 昭和三十五年十一月一日に 神奈川大学同窓会が建立し 大学へ寄贈したものである

設置場所:横浜市神奈川区六角橋3-27-1 神奈川大学 横浜キャンパス3号館1階展示ホール

Leave Comment