田伐兼松(大東市)

場所:大東市 飯盛山山頂
画像提供:飯坂陽治さん

飯盛山の頂上にどでかい小楠公(楠木正行)像が建っていますが、昭和12年に建立された銅像が戦時供出されたため、昭和47年に復元した銅像です。
この銅像の再建に尽力した方が田伐兼松氏で、小楠公像のそばに胸像が建てられています。

1 comment

  1. 林 久治 -

    本像の探索記⇒「林久治のHP」の「乱歩」欄に記載された、次の記事をご覧下さい。 
    第 15 回 大阪府大東市飯盛山の楠木正行像と田伐兼松(たぎり・かねまつ)像
    銅像台座前面の銘文
    右の小楠公の像は昭和十二年六月当時の市長矢代氏発起人となり、元小楠公会により故彫刻家黒岩淡哉氏によって制作され建立されたが、昭和十八年大東亜戦によりお國のため供出され、以来今日に至る。当地在住田伐兼松この再建を思い立ち、京都金井工芸に再建を命じ、四條畷高校所蔵の黒岩淡哉氏の原型をモデルとして再建したものであります。   昭和四十七年十二月之再建 田伐兼松
    銅像台座後面の銘文
    楠木正行公で由緒深きこの地に、私は生まれ、この地で育ち、生涯をこの地で終われることを誇りとして暮らしております。この地が発展の近況を見ます時、感慨深いものがあります。今でこそ人家は増し人口も増えて開けてまいりましたが、十五年前までは、田圃ばかりが目立つようなさびしい村に過ぎませんでした。私は何処よりも愛するこの地が発展しますことを心から祈っておりましたし、昭和参拾壱年に四條畷駅の西側の土地へ府営住宅を建設される可能性があると聞かされ、この時とばかりに夢中になって府営住宅建設用地の買収にとりかかり、途中困難な時もありましたが、土地所有者の方々から協力を得まして成功致しました。その後も引続き地元発展だけを目的に六年間懸命に土地買収に専念致しました。それが根拠になって今日を見ることが出来たのだろうと思っております。由緒あるこの地が益々恵まれます事を念願する者であります。行く末長く意義ある小楠公であります事を祈って楠木正行公の銅像を献納いたします。

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