清水長雄(新宿区)

設置場所: 東京都新宿区西新宿2-11-2 新宿中央公園内 熊野神社(拝殿の右奥)
制作者:長谷川義起、制作時期:不明
寄贈:東京都議會 1959年6月
銅像画像の第一提供者:たぐってぃさん
銅像探索記⇒林久治の乱歩欄/f

清水長雄先生(1900-?)胸像

銅像制作者の略歴:長谷川義起(はせがわ よしおき、1891.3.3-1974.2.20)は富山県射水市大島地区生まれで、東京美術学校(現東京芸大)を卒業後に国内外で活躍。力士をモチーフとした作品で高く評価され「日本一の相撲彫刻家」と称され、同学校教授や日展の審査員、評議員、参事を歴任した。
設置経緯:(銅像台座正面の銘文)
感謝状
あなたは明治33年10月山梨県北巨摩郡明野村に生を享けられ、幼少より叡智衆にすぐれ人を卆いる徳望は齢十有九歳にして早くも明野村青年団長の選ばれ、次で立憲青年党を組織してその充実を図り、青年の政治意欲を鼓吹されましたが、このことはまたあなたの今日を約束づけるものでありました。大正10年あなたは公務員を志して群馬県庁に奉職されましたのを第一歩として、内務省、兵庫県、警視庁、商工省、及び軍需省の各要職に歴任、往くところ可ならざるはなき名声を博し、その精勤は報いられて、正五位勲五等に叙せられました。
 昭和20年官を辞して金属回収統制株式会社代表取締役に就任されましたあなたは、政府の方針に従い全国戦災跡地の整理と十億に及ぶ債務の整理に努力せられ戦後の復興に大なる貢献を致されました。昭和22年推されて東京都議会議員に立候補されました。あなたは政治に対する関心と熱意に加えて、多年官界民間にあって蓄積された才腕と人徳は衆望翁然とあつまり見事に当選。爾来蛟龍の雲雨を得たるごとく、忽ちにして都政界の重鎮となられ、議長、副議長、委員長、都議会自由民主党政務調査会々長、同幹事長、その他各種と正の枢機に参画されまた全国都道府県議会議長会々長等の要職にも就かれ、この間欧米各国を歴訪されること二回。つぶさに行政制度の調査オリンピック大会東京招致の要請等に努力せられ、東京都はもとより全国の地方自治行政の発展に貢献されるとともに地元新宿区の繁栄のため終始尽力され、遂に新宿副都心の計画に成功する等、その功労まことに大なるものがありました。またあなたは全国知事会、全国都道府県議会議長等、地方六団体の財政確立対策協議会委員として常にその職責完遂に努力されておりますが、議長として在任中、政府の昭和34年度地方税財政措置策定の過程においては、その代表として地方自治財政確保のため寝食を忘れてこれが貫徹に邁進され、遂に目的を達成せしめました功績は地方六団体が感謝状を贈って衷心よりその心労を多といたしたところであります。
この度、議長を辞せられるに当り東京都議会はあなたの偉大な功績に報ゆるに胸像一基を贈り、深甚なる感謝の意を表します。 
 昭和35年3月 清水長雄殿  東京都議会議長 内田道治 

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