設置場所:横浜市港北区日吉4-1-1 慶應義塾大学 日吉キャンパス 陸上競技場スタンド
制作者:吉田三郎(1889-1962)
設置時期:1955年5月29日 喜寿の祝い
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:平沼亮三(ひらぬま・りょうぞう、1879年2月25日- 1959年2月13日)氏は、日本の実業家(第一ホテル社長、玉川電気鉄道社長、多数の会社の重役を歴任)、政治家、アマチュアスポーツ選手。衆議院議員(憲政会、民政党)、貴族院議員(同成会)、横浜市長(1951-1959)。日本における市民スポーツの父と呼ばれる。神奈川県横浜市に生まれる。平沼は慶應義塾の出身で、福澤諭吉の門下生である。慶應義塾体育会野球部では4番打者として活躍し、のち東京六大学野球連盟会長となった。野球に対する貢献及び功績により1979年度の野球殿堂特別表彰を受けた。平沼は神奈川県議会、横浜市会、衆議院議員、貴族院議員と地方議会、帝国議会の議員を務めた後、公職追放を経て、追放解除後に横浜市長となる。野球以外のスポーツにも積極的に関わり、全日本体操連盟の初代会長であり、同連盟が戦時および戦後の改組を経て日本体操協会となってのちもその職を引き継ぎ、死去するまで約30年間在任し、日本陸上競技連盟(日本陸連)の初代理事長・会長や日本バレーボール協会初代会長を歴任した他、1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピック及び1936年のベルリンオリンピックと2回の夏季オリンピックでは日本選手団団長を務めた。1955年にはスポーツ関係者としては初となる文化勲章を受章。
神奈川国体(1955年)開会式会場となった三ツ沢公園内には昭和天皇の御製碑と銅像「平沼さんの像」が建立された。また国体と同年の5月29日には慶應義塾大学日吉陸上競技場に平沼亮三が喜寿の祝いに全国競技団体から贈られた像(吉田三郎作)を慶應義塾体育会に寄贈したものが建てられた。その胸像は当初メインスタンド(現在の協生館付近)の中央に設置されていたが、2008年の日吉陸上競技場改修に伴い、バックスタンド(慶應義塾高等学校側)の中央に移設された。

本像台座背面の碑文には、以下の記載がある。
本塾体育會の育ての親であり日本スポーツ界の父といわれる平沼亮三君が喜壽の祝いに全國競技團体から贈られた壽像を本會に寄贈されたので同君に緑の深いこの場所に建てる
昭和三十年五月二十九日 慶応義塾体育會長 潮田江次

設置場所:横浜市港北区日吉4-1-1 慶應義塾大学 日吉キャンパス 陸上競技場スタンド
