場所:福島県檜枝岐村字黒岩山 檜枝岐村尾瀬ミニ公園東側
画像提供:城月さん

●公式サイトより
尾瀬大納言藤原頼国の物語湯之谷村の伝承に、尾瀬大納言藤原頼国の話しがあります。
後白河天皇第二の皇子高倉宮以仁王は平氏追討令を全国の源氏に発し、挙兵をうながしました。(これが後に平家滅亡のきっかけとなる。)
ただちに平氏側に企ては発覚し、奈良街道井手の里にて三十歳で討死したとされています。
しかし、伝説では、ひそかに再起を計るべく、源頼政の弟(越後の源頼之)をたよって従者と共に御潜行の旅につきました。
高倉宮以仁一行は上州沼田より中沼山に入ったころ、負傷した従者の一人尾瀬中納言藤原頼実は病気で息を引き取ります。
一行は沼の麓の湿原に塚を築き「尾瀬院殿大相居士」と改名し、手厚く葬りました。
この時以来中沼山の地名を“尾瀬”と呼ぶようになったといいます。
一行は沼山峠を越え、越後へ向かいますが、供をしていた藤原頼国は、弟頼実の眠る尾瀬のふもとに留まることを決意し、以仁皇も願いを聞き入れ、これより尾瀬大納言藤原頼国は尾瀬平に住むこととなりました。
※銀山平 「伝之助小屋」HP 銀山平今昔から

