安田善次郎(墨田区)

設置場所:東京都墨田区横網2-2-25 安田学園中学校高等学校校庭
大理石像制作:北村四海(1913年11月)
銅像複製:北村正信(1958年6月)

画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:安田善次郎翁(1838年11月25日 – 1921年9月28)は安田財閥の創始者。
富山藩下級武士(足軽)の安田善悦の子として生まれる。安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。善次郎翁は1858年、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。25歳で独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業した。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立し、その後には損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した。
1921年9月27日、神奈川県中郡大磯町にある別邸・寿楽庵に「弁護士・風間力衛」と名乗る男が現れ、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、善次郎翁はこの面会を断った。翌日、再度翁のもとを訪れた男は門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。午前9時20分ごろ、翁は別邸の十二畳の応接間で男から短刀で切り付けられ、逃げようとしたが廊下から庭先に転落したところを咽頭部に止めを刺されて死亡した。享年82歳。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は善次郎翁の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付が行われたことは世間に知られてはいなかった。
商工業に必要な人材育成に関心が深かった善次郎翁は、1918年、経営に困窮する東京府教育会付属東京植民貿易語学校から援助を求められ、6万円を寄付して財団組織を結成する。1923年に本財団は、東京保善商業学校(現・安田学園中学校高等学校)を併設した。
設置場所:東京都墨田区横網2-2-25 安田学園中学校高等学校校庭

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