長谷川繁雄・靖子夫妻(南区)

設置場所:京都市南区西九条寺ノ前町10-5 京都コンピュータ学院新館1階玄関ロビー
制作者:盛岡公彦(立体写真像代表者) 
設置時期:2005年4月
寄贈:京都コンピュータ学院校友会
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:左側の長谷川繁雄(1929-1986)は京都コンピュータ学院の初代学院長、右側の長谷川靖子(1932-)は第2代学院長。京都コンピュータ学院は学校法人京都コンピュータ学園が運営する私立専修学校である。本院は1963年に創立された日本で最初のコンピュータ教育機関である。京都大学理学部(多くは宇宙物理学教室)出身の有志により設立された。コンピュータによる科学技術計算の研究会を母体とし、1969年に全日制の情報処理技術専門教育課程を設置し開学した。現在までに約5万人の情報処理技術者の他、多数のIT起業家を輩出している。グループ校として、情報技術分野では日本で最初の専門職大学院である京都情報大学院大学、京都で最も長い歴史と伝統がある京都自動車専門学校、留学生向けの京都日本語研修センターがある。
長谷川繁雄先生(1929年11月15日-1986年7月2日)は兵庫県明石市の商家に生まれた。京都大学文学部卒業。1958年、井上靖子と結婚し大学受験の私塾を経営後、1969年8月、繁雄と靖子は大学に進学しない高校卒業者に対して情報処理技術専門教育を行うことを目的とした,全日制「京都コンピュータ学院」を創立。京都という日本の古都に,民間人の手によって,わが国最初の全日制の私立コンピュータ教育機関が誕生した。繁雄は,卒業生が活躍する様子を聞き続け,ますます学校を発展させなければならないと使命感を燃やして資金の調達や施設設備の拡充,講師・学生の募集に東奔西走した。そして,体に無理を重ねたためか,1986年4月,癌に倒れ治療の甲斐なく,1986年7月2日に56年の生涯を閉じた。
もう一人の創立者である井上靖子先生〈後の長谷川靖子〉は,1932年,和歌山県和歌山市に生まれた。1951年に,京都大学理学部に進学し,宇宙物理学教室へ入った。宇宙物理学教室においては,初の女子学生であった。靖子は研究者になることを夢見て,大学院にも進んだ。しかし、1957年和歌山市の実家で歯科医院を営んでいた父親が急逝したので、学問を中断して実家に戻り,得意の数学を活かし,「井上数学塾」という塾を実家に開設して高校生たちに教え始めました。1958年、長谷川繁雄と結婚し塾の共同経営を始めた。塾の経営状態も安定してきた1962年,靖子は「もう一度研究の道に挑戦したい」という希望を持ち,京都大学大学院に復学した。そして,コンピュータを使った科学技術計算を始めた。靖子は,当時すでに京都大学工学部に設置されていたコンピュータKDC-1を使用し,科学技術計算を行っていた。また,学術研究のために使用が許可された大型計算機IBM7090の利用を目的として,「FORTRAN研究会」という会を立ち上げた。同研究会が主催する講習会は,二人が開設した「和文研セミナー京都教室」において,京都大学の若手研究者を対象に,定例的に開催されるようになります。この私塾においてコンピュータ教育を開始した1963年こそ,京都コンピュータ学院の起源の年である。1969年8月、繁雄と靖子は「京都コンピュータ学院」を創立。1986年に死亡した繁雄の後を継いで靖子は第2代学院長に就任し、さらなる発展と日本・海外への貢献を目指した。このような支援活動は高く評価され,靖子は,2006年,財団法人日本ITU協会より「国際協力特別賞」を受賞した。2004年には,京都コンピュータ学院の伝統と実績を継承し,日本最初のIT専門職大学院として京都情報大学院大学を開学した。
設置場所:京都市南区西九条寺ノ前町10-5 京都コンピュータ学院新館1階玄関ロビー

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