設置場所:東京都国立市中2-1 一橋大学兼松講堂2階ロビー
制作者:堀進二(1890-1978)
設置時期:1927年10月
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

紆余曲折の末、房治郎は1873年に28歳で三井組銀行部(現・三井住友銀行)大阪分店に入店。丁稚同様のスタートであったが、誠実かつ積極的な努力が実を結び、当時の銀行が扱っていなかった民間資金の取り扱いも導入し、多くの成果と信用を勝ち取っていった。その後三井を退社し、1884年、大阪を中心とした海運業界の活性化を図るべく大阪商船(現・商船三井)の創設に参加し取締役となる。1887年、大阪日報を買収し、翌年に大阪毎日新聞と改称。今日の毎日新聞の基礎を作る。
房治郎は「国力の振興は貿易によるしかなく、貿易の商権はわれわれ日本人の手中に握らねばならない」という理想と希望に燃え、その目は畜産や鉱山などの宝庫であり世界一の羊毛産出国である豪州に向けられた。1887年、初めて豪州シドニーを訪れ現地を視察した房治郎は、「わが将来の活動の舞台はここにあり、国家の福利増殖の道も合わせて得られよう」と決意。そして1889年、ついに44歳にして「豪州貿易兼松房治郎商店」(現・兼松)を神戸に創業。「日豪貿易のパイオニア」といわれる。

