覚鑁上人(西東京市)

設置場所:東京都西東京市田無町3-8-12 総持寺妙見堂前
制作者:不明
設置時期:1994年11月13日 興教大師850年御遠忌記念
納主:田無市西原町 下田忠雄・明子
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん、1095-1144)上人は真言宗中興の祖。新義真言宗の教義を根付かせ、現在の新義真言宗(根来寺派)、真言宗豊山派(長谷寺)、智山派(智積院)の基礎となった。嘉保2年(1095)現在の佐賀県鹿島市に誕生。13歳の時入京。仁和寺に於いて得度。修学修行を積まれ20歳にして高野山に登嶺。弘法大師を崇敬、大師の歩まれた道を範として刻苦勉励日夜を分かたず精進研鑽、その学徳並ぶものなしと言われた。高野山を再興し、大師教学を振興した功績は誠に大。根来山に於いて49歳を以って入滅。1690年、東山天皇より興数大師と謚名賜る。
真言宗智山派寺院の総持寺は、田無山と号します。総持寺の創建年代は不詳ですが、元和年間(1615~23)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建、慶安年間(1648~51)当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には尉殿権現社(現田無神社)の別当寺を勤めていました。明治維新後、近隣の密蔵院・観音寺と合併、田無山総持寺と改称しました。関東三十六不動10番、多摩八十八ヶ所33番です。
設置場所:東京都西東京市田無町3-8-12 総持寺

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