内村祐之(文京区)

設置場所:東京都文京区大塚4-45-16 小石川東京病院1階 受付裏
制作時期:2006年12月
制作者:宮田亮平(1945年生、佐渡市出身、第22代文化庁長官、第9代東京藝術大学学長。同名誉教授)
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:内村祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 – 1980年9月17日)は内村鑑三(1861-1930)の長男として東京府に生まれる。1923年春に、東京帝国大学を卒業。1925年から1927年までドイツ留学。1936年に東京帝国大学医学部教授(1949年まで東京都立松沢病院院長兼任、学部長も務める)となる。1949年に法律改正により東京大学教授と松沢病院院長を兼任できなくなったので、松沢病院を退職し1951年に晴和病院を開設した。さらに、1958年に東京大学教授を退職した後、神経研究所の創設に努力した。大正時代に一高、東大で不世出の名投手とうたわれた。1962年5月、日米の野球に精通した人物として日本野球機構第3代コミッショナーに就任(1965年4月まで)。なお、清和病院は現在建替えのため、本像は小石川東京病院に仮設中。

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