佐々木千里(板橋区)

設置場所:東京都板橋区赤塚8-4-9松月院墓地 高島秋帆顕彰碑の裏手
設置時期:1975年6月1日 勲四等旭日小綬章叙勲の記念と思われる
制作者:立体寫眞像発明者 盛岡勇夫作
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

佐々木千里氏(1901-?):本像座主の佐々木氏は、「ムーランルージュ新宿座」を創設した佐々木千里氏(1891-1961)」とは同姓同名の別人です。
設置経緯:本像台座側面の銘文より
佐々木千里氏略歴
氏は明治三十四年十一月六日長野県飯田市座光寺 農業佐々木孫四郎氏の二男として生まれ 昭和三年二十七歳で単身上京 辛苦努力の末昭和六年独力で佐々木兄弟商会を創業 その後昭和十七年松川造船株式会社 翌年昭和十八年氷見造船株式会社を興し 戦後昭和二十年十月共和興業株式会社 昭和二十一年五月日本最初の電気製塩業である関東興業株式会社 並び関東漁業株式会社 昭和二十五年五月山手興業株式会社 昭和二十七年七月目白共栄株式会社等を創業され各代表取締役社長に就任 更に昭和二十八年二月株式会社東京丸物百貨店を創立され専務取締役に就任 昭和二十九年三月学校法人佐々木学園を創立され理事長となられ また豊島区の発展を期して昭和四十三年十二月東京商工会議所豊島支部を設立し 会頭より支部長に委嘱されました
一方公職におかれては 昭和二十二年豊島区議会議員に当選され その後昭和二十六年から昭和四十四年までの間連続五期にわたり東京都議会議員に当選され その間に自民党幹事長の重責をはじめ数々の委員会委員長の要職を歴任し 地方自治発展に多大な貢献をされ 昭和三十七年及び昭和四十一年と二度にわたり全国都道府県議会長会より地方議員永年自治功労彰を受賞 更に昭和四十三年には内閣自治大臣より藍綬褒章を受章されました
これら多方面における氏の顕著な功績が公の認めるところとなり 去る昭和五十年四月二十九日日本国天皇より勲四等旭日小綬章叙勲の栄誉に浴されましたことは誠に同慶の至りであります
 このときにあたり この像を献じ 永く氏の功績を顕彰するものであります
  昭和五十年六月一日
  共和興業株式会社 山手興業株式会社 目白共栄株式会社 学校法人佐々木学園

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