場所:岡山県・岡山市北区、岡山駅西口広場
建立日:平成23年7月19日
画像提供:城月さん
桃太郎伝説に登場する温羅(うら)をイメージしたブロンズ像「吉備の冠者(かじゃ)」の除幕式が開催されました。岡山東ライオンズクラブが今年の認証50周年記念事業の一環として開催されました。加藤廸也会長が同クラブ会員ら約40人を前に「吉備路観光の新たな拠点となるとともに、待ち合わせの場所として市民に愛される像になってほしい」とご挨拶をされました。なんとデザインした本学の美術工芸学科 田丸先生なんです。幕の下はどんなブロンズ像なのでしょうか。除幕後にお目見えしたブロンズ像です。優しさと力強さを併せ持ち、郷土の発展を願う若者をテーマにデザインされたそうです。ブロンズ像は台座を含め、高さ約2・3メートル、幅約1・4メートル、奥行き約1メートルなんです。
温羅とは伝承上の鬼・人物で、古代吉備地方の統治者であったとされる。
「鬼神」「吉備冠者(きびのかじゃ)」という異称があり、伝承によると吉備には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣され退治されたという。
伝承は遅くとも室町時代末期には現在の形で成立したものと見られ、文書には数種類の縁起が伝えられている。
また、この鬼退治伝承は桃太郎のモチーフになったともいわれるが裏付ける史料等は見つかっていない。
鬼退治伝説と温羅その昔、吉備と呼ばれた岡山には鬼退治の伝説が残されています。
古代、吉備には温羅という鬼がいました。温羅は鬼城山を居城として村人を襲い、悪事を重ねていました。そこで、大和の王は吉備津彦命に温羅を退治するよう命じました。吉備津彦命は、吉備の中山に陣を構え、巨石の楯を築き守りを固め、一方、温羅も城から弓矢で迎え撃ちます。そして激しい戦いの末、傷を負った温羅は鯉に化けて逃走し、吉備津彦命は鵜に変身して温羅を捕まえ退治しました。しかし、岡山の桃太郎伝説には、この後せつない続きがあったのです…。
桃太郎伝説「おかやま桃太郎ものがたり」現在の岡山には、温羅の居城だった鬼城山(鬼ノ城)や吉備津彦命を祀る吉備津神社、吉備津彦神社、討ち取られた温羅の首が埋まる釜の鳴音で吉凶を占う「鳴釜神事」など、この伝説を伝える文化遺産が数多く残されています。古代吉備の勢力この伝説の背景を探っていくと、そこには古代吉備の大きな勢力の存在が見えてきます。吉備地方には楯築遺跡や造山古墳、作山古墳など、畿内に匹敵する大規模な遺跡が残されています。
また、墓での祭りに使用された円筒形の土器は、その後に現れる埴輪の原型となりました。これらは、大規模な墓を造ることができる程の勢力と文化が古代吉備に存在していたことを物語っています。そして吉備と大和、この二つの勢力の対立と争い、これこそが温羅と吉備津彦命の戦いだったのではないかといわれています。
桃太郎の原型この地で古くから伝わる吉備津彦命による温羅退治の伝説は、日本で有名な昔話「桃太郎」の原型になったとされています。桃太郎の名前の由来となった桃は、魔よけの道具として使われていただけでなく、岡山で古くから栽培されていました。また、桃太郎が犬、猿、雉に与えるきびだんごの原料となる黍は、吉備の地名に由来するとも言われています。桃太郎は岡山の地で伝説をもとに生まれ、昔話として広く語り継がれてきたのです。鬼退治伝説を伝える様々な遺産や古代の世界を伝える古墳、吉備の地は神秘的な世界へとあなたを誘ってくれます。