輪島聞声(板橋区)

設置場所:板橋区前野町5-14-1 淑徳中学校・高等学校 事務室前庭園
制作者:久保田吉太郎(1875-1954) 
製作時期:1950年秋 校祖・輪島聞声法尼 生誕百年記念
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:輪島聞声(もんじょう、1852.5.15-1920.4.3)先生は、明治尼僧界の第一人者で、東京の淑徳女学校の創立者。東京本所荒井町感応寺、鎌倉聞声庵の住職。北海道松前藩の城下福山町(現・松前郡松前町)の旧家輪島屋五代目太左衛門とかねの三女。幼名を「こと」といった。両親はともに仏教信仰に篤く、輪島家ではしばしば仏教者の和田瑳門を招いて仏法を聴聞した。こと18歳のとき願い出て瑳門の弟子となり、仏典の講義を聴講した。25歳になって両親に出家の許可を得て、1876年、東京回向院福田行誡のもとで得度し、聞声と号して東京感応寺に住した。1879年8月、聞声は京都へ遊学、浄土宗総本山宗学校、泉涌寺佐伯旭雅の性相学の講義をきき、智積院で天台学や唯識論を学んだ。京都で浄土宗学尼衆京都支校付属尼衆教場を開き(1888年2月)、東京では浄土宗学東京支校付属尼衆教場を設立した(1889年)。後、尼衆教育をさらに一歩進めて、女子の普通教育の淑徳女学校を創設した(1892年9月)。聞声の教育理念は仏教の信と忍に基づく新しい教育と言え、自身の信仰は親ゆずりの弁天信仰と浄土教(律)である。
校祖 輪島聞声先生
輪島聞声先生、本名を こと と云い、嘉永五年(一八五二年)五月十五日に北海道に生まれ、大正九年(一九二〇年)四月三日に東京で行年六十九才お亡くなりになりました。
明治の初め、日本の近代化のなかで、まだ女性の存在が余り認められない頃、女子教育者であり浄土宗の尼僧であった先生は、女子教育を真剣に考え、幾多のご苦労のすえ、仏教情操教育を建学の基盤として、東京都文京区表町に、明治二十五年(一八九二年)淑徳女学校を創設なさいました。
やがて淑徳高等女学校となり明治大正昭和と永い年月にわたり、多くの卒業生を世に送り、東京での女子教育の名門校の一つとなりました。第二次世界大戦後の昭和二十三年(一九四八年)、第八代校長、後の理事長長谷川良信先生の先見により此の移転いたしました。
本校は創立以来、ながい歴史を経過いたしましたが建学の精神は始終かわることなく脈々として本校の教育に生きつづいております。
 昭和五十九年(一九八四年) 第十代校長 里見達人 他教職員一同

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