日晨上人(渋谷区)

設置場所:東京都渋谷区鶯谷町10-15 乗泉寺本堂1階ロビー
制作者:不明、設置時期:不明、
画像提供:NANAKOさん
林久治⇒銅像探索記/f

日晨上人の略歴:日晨上人(本名:田中清長、1899年10月26日-1984年8月31日)は、東京府麻布区龍土町で誕生。開導嗣法第四世日教上人より「清長」と名前を頂き十六歳にて得道。その後九年のご奉公を経て、1923年には二十五歳で乗泉寺住職に就任。それ以後、麻布乗泉寺や世田谷別院の開筵式(かいえんしき)をつとめるなど寺観を整え、弟子の育成にも力を入れて東海から北海道までの弘通発展に尽力。太平洋戦争中には、日歓上人の遷化や乗泉寺本堂が戦災に遭うなど大変な時期もありましたが、終戦後の1947年3月には法華宗より独立、本門佛立宗として宗教法人格取得を果たし、さらに、東京が一層発展してゆく将来像を勘案し、1950年5月には乗泉寺を渋谷鴬谷町に移転。日晨上人は数々の大役を宗門より拝命し本門佛立宗の発展にも貢献、その後1962年10月には、開導嗣法第十五世講有位を継承。講有在任中も宗門の発展に尽力し数々の功績を残した。1966年には講有位を退任、以後「佛立信心像」「ある角度から」など、数多くの著述を遺して後進の指導にあたりましたが、1975年に乗泉寺住職を退任され、弟子である日尚上人に後任住職を託した。退任後も、高祖七百回御遠忌や新宗制の制定等数々のご奉公に力を注がれ、1984年8月31日に遷化。
乗泉寺の略歴:乗泉寺は、江戸時代元和年間(1615年頃)に京都妙蓮寺末として、江戸西久保に一庵が建立されたのがはじまり。日歓上人(田中清歓師・佛立第八世講有)が明治34年に住職となり、信徒は日に日に増加し今日の大乗泉寺の基礎を築きました。その後、日晨上人(田中清長師・佛立第十五世講有)が日歓上人の後を受け、戦前戦後の復興期に信徒を奮闘激励し、宗内随一のご弘通のお寺を築きました。境内地は、戦後まもなく麻布から現在地の渋谷に移転し、そして今日にいたっています。

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