野村宗十郎(目黒区)

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  1. 林 久治 -

    野村宗十郎目黒区)
    設置場所:東京都目黒区下目黒3-20-26 目黒不動尊仁王門前 「渋谷駅東口」行きバス停横
    建立時期:1930年6月
    制作者:堀進二(1890-1978、東京出身、代表作に浜尾総長像など)
    画像提供:ヒロ団長、林久治⇒銅像探索記/f
    http://masaniwa.web.fc2.com/RW-190.pdf
    設置経緯:野村宗十郎(1857-1925)は、長崎に生まれる。父の従兄野村全吉の養子となったが、全吉は函館戦争で幕府軍艦朝陽搭乗士官として戦死。本木昌造の新街私塾に入り英語を学んだ。1872年大阪に出て開成学校に入学、さらに東京英語学校及び大学予備門に学んだ。その後、病弱の身を押して勉学にはげみ、大学予備門を中退して簿記を学び、1879年大蔵省銀行局に入局。1889年東京築地活版製造所に幹部候補生として入社。1907年第5代社長に就任。和文ポイント活字を創製し、これが新聞印刷で採用されるなど、印刷技術の革新に寄与した。

  2. 林 久治 -

    台座正面の碑文
    君諱宗十郎安政四年五月四日出于長崎薩摩屋敷服部氏出嗣堅邦■少入新街新塾受活版術于昌造本木翁明治六年入東京大学予備門■病退十二年任大蔵省銀行局員尋轉主計局二十二年辤官入築地活版製造所四十年奉社長君之在社也晨起夜寐看社務遊■技嘗創九波■活字問諳桒■発大阪博覧会九波因行乎巫昉于払也大正二年官賜藍綬褒章賞馬受又慨活字常軆紛乳如決決諮衆家出又省略點劃肌論■可讀不可讀其■力■啇於活版術也経任国語調査会委員焉十二年■関東地震災起活版所帰烏有氏日夜勤勉■厭復興胡■■■假年俄然病歿大正十四年四月二十三日也特旨叙正七位  文学博士遠藤隆吉記
    昭和五年六月上浣 堀 進二作像 亀田雲鵬 書

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