西郷隆盛(品川区)

設置場所:東京都品川区上大崎1-20-27 三州郷土館玄関ロビー
制作者:不明
制作時期:不明
建立者:國民禮普及會
画像提供:飯坂陽治さん
林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:西郷隆盛(1828年1月23日 - 1877年9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人。

なお、三州郷土館は三州倶楽部が運営する会館で、三州倶楽部(三州とは、薩摩、大隅、日向の3国)は1914年の桜島大爆発を機に集まった郷土愛に燃えた在京の有志による 義援金募集をきっかけとし、明治維新を築いた先人たちの見識を学ぼうとした若者たちの熱き想いを 基に、1918年に創立されました。

本像横には「敬天愛人」と書かれた扁額がある(画像提供:林久治)。
敬天愛人(けいてんあいじん)とは、明治時代の啓蒙思想家、中村正直(1832 – 1891)の造語で、天を敬い人を愛すること。明治元年に著した「敬天愛人説」で初めて使われた。この言葉は、西郷隆盛の座右の銘であり、「南洲翁遺訓」に登場することで広く知られている。西郷隆盛が「敬天愛人」と揮毫した書は9点か10点現存しているのみ。
本像台座側面の銘板には、次の記載がある(画像提供:林久治)。
西郷隆盛 高宗偉雄
文政十年十二月七日生明治維新ノ元勲鹿児島藩士通稱吉之助後隆盛ト改メ南洲ト號ス
幕末僧月照平野國臣藤田東湖等ト倒幕ヲ謀リ又藩政参與シテ長幕間ニ斡旋ス
明治元年總督府参謀トシテ東征シ幕臣勝安房ト相見テ江戸ノ開城ヲ受ケ
進ミテ奥羽北陸轉戦シテ功アリ正三位ニ叙シ陸軍大将タリ六年征韓論ヲ唱ヘテ
義容レラレス官ヲ辭シテ郷歸リ私學校當ニ擁立セラレテ兵ヲ擧ケ十年九月二十四日鹿児島
市外城山ニ自殺ス年五十一
國民禮普及會建立

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