勝海舟(墨田区)

設置場所:東京都墨田区本所4-6-14 妙見山別院
制作者:平櫛田中
設置時期:1974年3月(別院開創200年記念)
寄贈者:地元有志
画像提供:まるこさん
林久治⇒銅像探索記/f

画像提供:林久治
設置経緯:妙見山別院は「親子鷹」でおなじみの勝小吉(1802-1850)と勝海舟(幼名は麟太郎、1823-1899)親子の熱烈な信仰を得ていたことで有名です。1831年、麟太郎9歳の時に犬に急所を咬まれ生死の間を彷徨ってしまいます。この時小吉は本院で快復を祈って水垢離をしたと伝わります。その甲斐あってか70日生死の間を彷徨った麟太郎は無事生還。本院の開創二百年を迎へ海舟翁の偉徳を永く後世に傳へるため地元有志に仍ってこの胸像が建られた。
銅像の銘文には以下の記載あり。
勝海舟翁之像:勝海舟九才の時大怪我の際妙見大士の御利生により九死に一生を得その後開運出世を祈って大願成就した由縁の妙見堂の開創二百年を迎へ海舟翁の偉徳を永く後世に傳へるため地元有志に仍ってこの胸像が建られた 昭和49年(1974)5月12日
能勢妙見堂の略縁起は次の通りである。
能勢妙見堂 略縁起
當山は大阪能勢妙見山の全国唯一の別院であり、能勢家の子孫が代々守護に任じており ます。今より百九十五年前安永三年五月十一日の創建です。
この地は當時下総ノ國葛飾郡本所横川町と称し、能勢筑前守頼直の江戸下屋敷であり、 妙見堂を建立して、知行所たる攝津ノ國妙見山より妙見尊像を分祀したものです。江戸 末期幕臣勝小吉が愛息麟太郎、後の海舟の開運勝利を水垢離を取って祈願したことは、 子母沢寛氏が『父子鷹』に詳しく記して居ります。
震災戦災と二度の火災の為、宝物尽く烏有に帰しましたが、妙見尊像は巨難を免れ、御 内陣に奉安されて在ります。境内に鴎大善神の祠あり、その黒札は魔よけのお守りとし て江戸時代より能勢の黒札として有名なり。
昭和四十四年己酉五月 能勢家三十六代 能勢日妙 誌す

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