江下武二(港区)

場所:港区愛宕 青松寺
画像提供:まるこさん

戦時中に戦死して英雄となった「肉弾三勇士」と呼ばれている一等兵兵士。
江下武二、北川丞、作江伊之助の3名。
昭和7年1月の上海事変勃発に伴い中国に出征、中国軍が配備する廟行鎮を攻撃するため、その前面の鉄条網の処理を命ぜられ、猛烈な弾雨の中、火のついた破壊筒をかかえて身を捨てて突入し、壮絶な戦死を遂げた。
戦死後、全員が2階級特進して工兵伍長になった。
当時陸軍大臣だった荒木貞夫が、愛国美談だとして、「肉弾三勇士」として語り継がれている。

以下のように絵葉書などにもなった有名な銅像であった。
その一部の江下武二像のみがここにある。
北川丞の銅像は長崎県佐々町三柱神社にある

2 comments

  1. Pingback: 北川丞[肉弾三勇士](佐々町) – 日本の銅像探偵団

  2. 林 久治 -

    江下武二(港区)
    設置場所:東京都港区愛宕2-4-7 萬年山青松寺墓地(NHK放送博物館に隣接した場所)
    制作者:新田藤太郎
    設置年:1934年
    設立者:肉弾三勇士銅像建設委員会(委員長・醫學博士金杉英五郎)
    画像提供:まるこさん
    林久治⇒銅像探索記/f
    http://masaniwa.web.fc2.com/RW-215.pdf
    設置経緯:肉弾三勇士とは、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二(えした たけじ、1910.11.22-1932.2.22、佐賀県出身)、北川丞(きたがわ すすむ)、作江伊之助(さくえ いのすけ)の3名の一等兵である。1932年に第一次上海事変で敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いた「昭和最初の軍神」とされる。1934年に「肉弾三勇士の像」が青松寺に設置されたが、戦後に撤去され、後に切り離された「江下武二の像」の部分のみが新たな台座とともに青松寺に安置されている。「北川丞の像」は長崎県北松浦郡佐々町にある三柱神社に移築。「作江伊之助の像」は所在不明。
    碑文
     忠孝の心を存し仁義の事を行い難至って節見はれ累至って行明かなるは我日本帝国臣民の伝統的精神にして其れも善き例を示したるは廟行鎮の役に挺進爆薬筒を抱き肉弾と化して瞬間に能く敵前鉄条網の堅陣を爆破し以て皇軍進出に便ならしめ砕身奉公の誠を致したる作江伊之助・北川丞・江下武二の3士にして其忠烈古今に絶し其壮烈世界を震撼す真に所謂死して護国の鬼となり永く報国の訓を掲けたるものと謂ふへし依て茲に銅像を建て建設して3士の遺骨を其の内に納め以て忠魂を無窮に弔い義烈を万代に顕彰する所以なり
     昭和9年2月22日
      肉弾三勇士銅像建設委員会 委員長醫學博士 金杉英五郎

Leave Comment