五代友厚(住吉区)

場所:住吉区 大阪市立大学
設立:2016年(平成28年2月)
彫刻:喜多敏勝
画像提供:飯坂陽治さん

五代友厚氏(1836~1885)は江戸時代末期の薩摩藩士で、明治中期にかけて実業家として大阪経済界の発展に尽くされた方です。
2015年NHK連続テレビ小説「あさが来た」では俳優ディーンフジオカが五代友厚を演じて五代ブームとなった。

<碑文> 明治維新で活躍した薩摩藩の武士五代友厚は1836年2月12日に鹿児島に生まれた。長崎海軍伝習所で航海術・砲術などを学び、1862年に26歳で上海に渡り蒸気船の買入れ調査を行った。 29歳の時、英国など欧州各国へ森有礼ら15名の留学生を引率し、産業・学校・病院の視察を行い、時代を拓く若い人材の育成に努めた。
1868年(明治元年)32歳の時、明治政府の外国事務局判事として初めて大阪に赴任し、初代の大阪税関長に就任した。五代はここでまず大阪港の修築により、外国貿易に道を開いた。また大阪造幣局の設置に尽力し、日本の通貨制度の発展に大きく貢献した。
翌年民間に転じた五大は、鉱山開発や紡績業まど数々の新しい産業を興し、大阪商工会議所を設立して初代会頭となり、大阪取引所も設立するなど、赫赫たる業績によって大阪実業界の父と称された。 1880年(明治13年)には、大阪市立大学の前身 大阪商業講習所の筆頭創立員としてその開設を果たした。 大阪商業講習所は1885年に大阪府立商業学校となり、1889年の大阪市発足に伴い大阪商業学校へと発展。その後1901年に大阪高等商業学校、1928年に大阪商科大学に昇格した。 1949年(昭和24年)には大阪商科大学、大阪市立都島工業専門学校、大阪市立女子専門学校の統合によって新制総合大学である大阪市立大学が発足した。さらに1955年には大阪市立医科大学の編入による医学部設置をもって現在の大阪市立大学の原型が確立した。 大阪のみならず日本の産業や経済の礎を築くとともに大阪の教育の振興にも寄与し、近代化に偉大な足跡を残した五代は1885年9月25日、49歳の若さで他界した。 大阪市立大学同窓会は五代友厚の果たした大阪の経済および人材育成に対する偉業に思いを馳せ、生誕180周年を記念してここにその功績を顕彰する。
2016年2月12日 大阪市立大学同窓会

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