天璋院篤姫(鹿児島市)

場所:鹿児島城(鶴丸城)・黎明館
画像提供:城月さん

江戸城無血開城の立役者、13代将軍:徳川家定公御台所

篤姫:1835(天保6)年~1883(明治16)年  
今和泉島津家の島津忠剛(しまづただたけ)の娘、一子として、鹿児島城下(現在の鹿児島市大竜町)に生まれた。
1850(嘉永3)年ごろ、德川家定の夫人に関する打診が德川家から島津家にあり、島津本家は、1853(嘉永6)年に、一子を島津斉彬の実子として鶴丸城に迎え入れ、名は篤姫と改められた。同年、江戸に入ったが、政情不安や天災などの影響もあり、1856(安政3)年ようやく将軍家定の御台所となる。しかし、1858(安政5)年に養父斉彬、夫家定が相次いで死去し、篤姫は落飾して天璋院と号するようになる。
その後、世の流れは大きく討幕へと傾く。討幕軍の先頭にたっているのは実家、薩摩藩であった。篤姫は、苦しい立場の中、最後まで江戸城に留まり、德川家の存続を願う嘆願書を討幕軍の隊長宛に出すなど、江戸城無血開城に大きな役割を果たした。その後は、德川家達の養育に専念し、1883(明治16)年に亡くなった。

篤姫は、激動の時代の中、自分の正しいと信じる道をまっすぐに生き抜いた、薩摩の心を持ち続けた女性であった。

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