千代の富士 貢(墨田区)

設置場所:墨田区石原四丁目22-4 九重部屋玄関前

製作者:小張隆男(1948-)

製作時期:1992年 横綱千代の富士像 「出を待つ」 製作

画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:千代の富士 貢(本名は秋元貢:1955.6.1-2016.7.31)
 1955 年:北海道松前郡福島町で漁師を営む家に誕生。子供の頃から漁業を手伝って自然に足腰が鍛えられたが、秋元少年と両親は、最初は大相撲入門には反対であった。
 1970 年:9月場所初土俵。同じ福島町出身の九重親方(第41 代横綱千代の山:1926-1977、横綱在位:1951.9-1959.1)は秋元少年を直々に勧誘に来て「とりあえず東京に行こう。飛行機に乗っけてあげるよ」と言った。飛行機に乗りたかった秋元少年は、東京の九重部屋に遊びに行って、そこで暮らすうちに両親の反対を押し切って九重部屋に入門した。
 1977 年:11 代九重親方(元・千代の山)が没すると、九重部屋の兄弟子であった井筒親方(元・第52 代横綱北の富士:1942-)が12 代九重を襲名して、千代の富士は12 代九重の弟子となる。その後、千代の富士は軽量やケガを克服して横綱に昇進し(第58 代在位:1981.9-1991.5)、数々の大記録を樹立。なお、12 代九重の直弟子・北勝海(現在の八角理事長)も横綱に昇進(第61 代在位:1987.7-1992.5)。
 1989 年:大相撲で初めて「国民栄誉賞」を受賞(34 歳)。なお、大鵬は没後に受賞しているが、北の湖は受賞していない。
 1991 年5 月:貴花田との初対戦で敗れ、横綱を引退。一代年寄「千代の富」を辞退し、17代陣幕を襲名。
 1992 年4 月:師匠の九重と名跡交換し九重部屋を継承。しかし、まもなく陣幕(先代九重)との考え方の違いが出てくる。
 1993 年10 月:北勝海が引退して八角を襲名し、九重部屋から独立。この時、陣幕を含む部屋付の年寄全員が八角部屋に移籍した。さらに、八角部屋は施設も旧九重のものを継承し九重の方が部屋を出て行く形となった。このため、九重は自宅を改装して部屋を新設した。現在の九重部屋は「大横綱・千代の富士が師匠の相撲部屋」という色を前面に打ち出した部屋になっている。(そのため、胸像を玄関に飾っていると言われている。)
 1994 年:役員待遇に昇進し審判部副部長に就任。しかし、所属する高砂一門が小派閥のため、相撲協会内での昇進が遅れる。
 2008 年2 月:前年の朝青龍問題などの責任で高砂一門代表の高砂理事(元・大関朝潮)が辞任したので、代わりに理事に昇任。
 2012 年:貴乃花親方と共に、北の湖(1953-2015)の理事長就任に尽力したことにより、協会No.2 の事業部長に就任。
 2014 年1 月:北の湖理事長の病気欠場のため、理事長代行に就任。しかし、同年の理事選挙で落選し、2段階降格して委員に後退。理事落選は高砂一門の内部抗争に敗れたのが原因。
 2015 年6 月1 日:還暦(60 歳)を迎え、前日の5 月31 日に両国国技館にて、北の湖以来2 年ぶり10 人目の還暦土俵入りを行った。
 2016 年7 月31 日:膵臓癌のために死去。61 歳没。

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