藤山雷太(港北区)

制作者:朝倉文夫(1883 – 1964)
設置時期:1958年(藤山愛一郎が日吉キャンパスに図書館を寄贈した時)
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:藤山雷太(1863年9月13日- 1938年12月19日)は、佐賀藩出身の明治・大正・昭和の実業家、貴族院勅選議員。福澤諭吉門下直系の実業家として、東京商業会議所会頭、芝浦製作所所長、大日本製糖社長、藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井財閥・安田財閥・共同の各信託会社の相談役・取締役等を歴任し、藤山コンツェルンを創立した。

藤山記念館(画像提供:林久治)
藤山図書館の前身は、藤山コンツェルンの創始者である藤山雷太によって白金台に藤山工業図書館が昭和2年に建設されたことに始まる。外務大臣などを歴任した長男の藤山愛一郎が昭和19年にこれを慶應義塾に寄贈し、使用されていた。ところが戦後、工学部が小金井に移転して、利用者も少なくなったこともあり、昭和33年、創立100年記念事業の一環として、藤山家の了承を受けて藤山工業図書館の土地建物を売却し、新たに藤山記念日吉図書館として建設されたのである。昭和33年は、戦後、狭い校舎の施設で勉強してきた学生たちにとって、第4校舎や藤山図書館、日吉記念館建設によってキャンパス環境が一変した年でもある。1985年に新図書館が竣工。図書館は藤山記念館と名称を変えたあと、教室として、国際センターなど、さまざまな役割を荷って現在に至っている。

本像台座正面の銘盤(画像提供:林久治)

財団法人 藤山工業圖書館由来記
 顧レバ予ガ實業界ニ身ヲ投ジテヨリ殆ド五十餘年ソノ間銀行、鐡道、保険、信託等各種ノ事業ニ關興シタリト雖モ主トシテ経營セシハ芝浦製作所、王子製紙株式會社、大日本製糖株式會社等ノ工業會社ナリ。換言スレバ畢生ノ力ハ我ガ工業發展ノ為メ盡シタリト云フテモ可ナリ。今ヤ是等ノ事業ガ日ニ益盛ンナルハ老来殊ニ喜ビニ堪ヘザル所ナリ。
 サレド予ガ工業報国ノ志ハ之ヲ以テ止ム可キニ非ズ。将来一般ノ工業界ヲ裨益スル所アラント欲シ、工業圖書館建設ノ計畫ヲ樹テ隣接ノ高臺ヲ相シタルハ大正四年大日本製糖株式會社社長在職中ナリキ。然ルニ欧州戦亂ノ為メ建築遅延漸ク工成リシ時大正ノ大震災ノ為メ全壊ノ不幸ヲ被リ直ニ再建築ニ着手シ遂ニ昭和二年落成スルニ至レリ。九月十三日予ノ誕辰ヲ期トシテ開館セシニ、尓来幸ニ時勢ニ投ジ遂年盛況ニ赴キ館内狭隘ヲ感ズルニ至リシオ以テ、本季更ニ出資ヲ倍加シテ金貳百萬圓トシ、増築ヲ為スト共ニ、又設備ヲ改善シ基礎ノ鞏固ヲ計リシ。
 今ヤ支那事變ニ伴ヒ、将来我ガ産業ノ發展ハ期シテ待ツ可ク、本館ノ使命愈重キハ予ノ甚ダ本懐トスリ所ナリ。偶増築竣工に際シ一言ソノ由来ヲ記スルコト斯ノ如シ。
昭和十三年朧月 従五位勲三等 貴族院議員 藤山雷太撰併ニ書

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