野口源三郎(桜区)

場所:埼玉県さいたま市桜区下大久保255 埼玉大学教育学部裏庭
建立時期:1957年12月15日
制作者:中野四郎(1901-1968)、埼玉大学教育学部美術科講師。
画像提供:林久治さん ⇒ 銅像探索記

設置経緯(案内文):野口先生(1888-1967)は大里郡(現深谷市)生まれ。
埼玉県師範学校から東京高等師範学校に進み、1951年から埼玉大学教育学部教授・学部長として活躍した。
学校体育にスポーツを導入し、普及を図るなど、日本の体育の発展に指導的な役割を果たした。1957年に門下生らが古稀祝賀を祝い胸像を建立した。

(投稿者(飯坂さんの注釈)
野口先生は1920年のアントワープ五輪に日本選手団の主将として参加し、旗手を務めた。
十種目競技で12位を獲得(これは、日本の陸上競技で最高の成績)。
以後、日本の五輪活動に指導的役割を果たす。

本銅像は、埼玉県教育センターに設置されていたが同施設が2019年に解体が決定しため埼玉大学に移設。
※上記画像は旧設置場所当時のもの
画像提供:飯坂陽治さん
旧設置場所住所:埼玉県さいたま市緑区三室1305−1

1 comment

  1. 林 久治 -

    野口先生像の背面には、次のように彫られている。
    日本体育界の先覚者野口源三郎先生は明治廿一年埼玉県大里郡八基村
    丸橋栄三郎の長男に生まれ幼少より岡部村野口八十郎の養子となる
    埼玉県師範学校を経て東京高等師範学校に体育を専攻され大正七年
    以来東京高等師範学校東京教育大学に在職し後年は教授と体育学
    部長を併任さる昭和廿六年より埼玉大学教育学部教授教育学部長として活躍
    され昭和丗二年退職さる東京教育大学並に埼玉大学より名誉教授の
    称号を贈らる 先生は陸上競技に長ぜられ大正九年第七回国際オリン
    ピック大会に日本代表として参加しついでに二回西欧各国を歴訪さる高邁なる
    学識をもって全国を指導し特にスポーツを初めて学校体育に導入し日本
    体育の進展に貢献され斯界の最高権威と仰がれて古稀の寿を迎えらる
    慈に知友門下欽慕して胸像を建つ 野口源三郎先生古稀祝賀記念会
    昭和丗二年十二月十五日 高崎藤蔵撰文服部北蓮書

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