笠原義平(桜区)

場所:埼玉県さいたま市桜区下大久保255 埼玉大学教育学部裏庭
建立年月日:1954年
制作者:中野四郎(1901-1968)、埼玉大学教育学部美術科講師。
画像提供:林久治さん ⇒ 銅像探索記

設置経緯(案内文):笠原先生(1879-1945)は秩父郡(現秩父市)生まれ。1914年から17年間、母校である埼玉県師範学校教諭・舎監として、柔道や水泳など運動部の発展に力を注ぎ、質実剛健の気風を涵養した。
久喜高等女学校長を務めた後、秩父郡荒川村の村長となった。
胸像は1954年に教え子たちによって建立された。

本銅像は、埼玉県教育センターに設置されていたが同施設が2019年に解体が決定しため埼玉大学に移設。
※上記画像は旧設置場所当時のもの
画像提供:飯坂陽治さん
旧設置場所住所:埼玉県さいたま市緑区三室1305−1



1 comment

  1. 林 久治 -

    本像の背面には、次のように彫られている。
    笠原義平先生は
    明治十二年秩父郡荒川村に生れ大正三年母校埼玉師範に奉職以来十七年よく質実剛健の気風を興し特に舎監として率先躬行厳格にして温情を堪え師道の根柢に培はる加ふるに体育の啓蒙柔道の普及水泳の奨励等画策頗る多く感化全県に及ぶ出て久喜高等女学校長となり退いて郷里の村長に推され昭和二十年七月清節を全うし六十七歳の生涯を自ら閉じらる知友門下欽慕してここに胸像を建つ
    彰徳会撰文  服部誠一書  昭和廿八年秋 中埜四郎作

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