瓜生岩子

場所:喜多方市 喜多方蔵の里(瓜生岩子記念館)
建立年月日:平成5年
製作者:三坂耿一郎

日本のナイチンゲールと呼ばれた女性。
文政12年2月15日に現在の福島県喜多方市に生まれた。
4歳の頃に天保の大飢饉が始まり、会津でも凶作で農村は疲弊していた。
9才の頃、雑貨屋を営んでいた父が病気で死亡し、さらに火災で家を失くし、母の実家である温泉業「山形家」に身を寄せることになる。
14歳の頃、叔父の山内春瓏の元で社会事業を学びました。
17歳で呉服屋を営んでいた佐藤助茂と結婚し、一男三女をもうけ、商売も順調に行ったかにみえた矢先28歳の頃に夫が病となり、夫の代わりに商売を営むが、頼りとしていた叔父も他界し、番頭が金を持ち逃げするなどが連続し34歳の時に、夫が肺結核で死亡しました。
翌年には母も他界し、なすすべもなく母の実家に身を寄せる。
 絶望に打ちひしがれた岩子は母の菩提寺「示現寺」の隆覚禅師に尼になりたいと訴えると、逆に「お前より不幸な人は大勢いる、もっと不幸な人のために捧げなさい」と諭され、師の貧者救済の教えに立ち直ったという。
その後、救護所、縫製所などを各地に作り、本格的に社会・慈善事業に取り組み、「仏の岩子」と多くの人から慕われました。
会津は、戊辰戦争に巻き込まれ、一般の民衆を貧困のどん底に陥れていた。
明治元年(1868年)9月、鶴ヶ城開城。前藩主松平容保とその藩士はそれぞれ領内各地に謹慎の身となり、やがて西軍により民政局が組織された。岩の社会活動は、正にこの会津戦争の中から始められた。

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