木村榮

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  1. 林 久治 -

    銅像探索記⇒第79 回 岩手県奥州市の木村榮と佐々木佐五平の銅像
    木村榮(ひさし)先生の略歴を以下に示す。
    1870 年9 月10 日 金沢市泉野の素封家・篠木庄太郎の次男として生まれる。
    1871年 親戚の木村民衛の養子となる。
    (民衛は木村塾を開き、2000 人もの門弟を育てた。)
    1878年 養父に代わって木村塾で漢学を教え、「木村塾の小先生」と呼ばれた。
    (生涯の友となる西田幾多郎と知り合う。)
    1880 年 加賀藩藩校明倫館の流れを汲む石川県専門学校に一番で入学
    1887 年 上記の学校は第四高等中学校となり、天文学を志す。
    1889 年7 月 第四高等中学校を第一期生(卒業証書第一号、首席)で卒業。
    1889 年8 月 東京帝国大学理科大学星学科に入学。
    1892 年 大学を卒業し、さらに大学院に進学。
    1895 年 嘱託として「緯度変化観測方」となり、緯度観測を行う。
    1895 年 万国測地学協会の総会で、国際緯度観測を決定。
    1896 年 木村は恩師の田中舘と共に観測地の選定のため、水沢に来訪。
    1898 年 ドイツで開かれた万国測地学協会総会に委員の田中舘と共に木村も出席。
    1899 年9 月 眼視天頂儀と共に帰国。
    1899 年9 月30 日 水沢の臨時緯度観測所所長となる。
    (観測所の開所は12 月11 日でしたが、悪天候のため、初観測は12 月16 日。)
    1902 年1 月 Z 項の発見論文を発表。
    1904 年5 月 理学博士の学位取得。
    1911 年 帝国学士院恩賜賞の第1 回目の受賞者
    1922 年 実績を認められ、国際緯度観測事業中央局長に推挙され、中央局を担当。
    1937 年 第1回の文化勲章を受章。
    1941 年 緯度観測所長を辞し、水沢を後に東京世田谷の新町に移住。
    1943 年9 月26 日 死亡。

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