浜野彌四郎

場所:奥州市水沢大手町 後藤新平記念館
画像提供:佐藤弘一さん

技師・浜野弥四郎(明治2年生-昭和7年歿)は千葉縣佐倉人である。
明治29年7月、帝国大学工科大学土木工学科を卒業すると共に恩師バルトンに従い台湾に渡り、総督府に奉職した。爾来、大正8年4月に辞職するまでの23載を通じ、都市の醫師として、同地の衛生施設の計畫と建設に尽力した。就中、台南水道の策計は最も心血を注いだ事業で、十一星霜の歳月を経て完成された

1 comment

  1. 林 久治 - 返信

    銅像探索記⇒「雅子の庭園」(林久治欄の「第78 回 岩手県奥州市の後藤新平と正力松太郎の銅像」)
    浜野弥四郎技師(1869-1932)は千葉縣佐倉人である。1897 年7月、帝国大学工科大学土木工学科を卒業すると共に恩師バルトンに従い台湾に渡り、総督府に奉職した。爾来、1919 年4月に辞職するまでの23 年を通じ、都市の醫師として、同地の衛生施設の計畫と建設に尽力した。就中、台南水道の策計は最も心血を注いだ事業で、十一星霜の歳月を経て完成された。ここに至って瘴癘の地は楽土と化し、台湾の近代化はその礎が築かれたのである。台南が事業発祥の地である奇美文化基金会は、技師の偉業を称え、創業者許文龍自らの手によって、創作された粘土原型から鋳造した銅像を贈呈し、併せて技師の偉業を誌す。2008 年6月吉日 奇美文化基金会

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