後藤新平

場所:奥州市水沢大手町 後藤新平記念館
制作:1999年2月吉日 許 文龍(台湾)
画像提供:佐藤弘一さん

後藤新平は台湾総督府民政長官(在任1898年3月~1906年11月)として施政にあたり、「生物学原則」の科学的方法で旧慣調査を行い、それに基づいて台湾の社会に適した法律を制定し法治の基礎を確立しました。私が後藤新平先生の胸像をつくったのは、その功績に感謝の念を表し、台湾の人達にも知ってもらいたいためです。

1 comment

  1. 林 久治 - 返信

    銅像探索記⇒「雅子の庭園」(林久治欄の「第78 回 岩手県奥州市の後藤新平と正力松太郎の銅像」)
    本像は、許文龍(台湾・奇美実業董事長)の製作で、後藤健蔵(後藤新平の孫)の寄贈である。許文龍氏が本像を製作した理由を次の様に書いている。
    後藤新平先生は台湾総督府民政長官(在任1898 年3月~1906 年11 月)として施政にあたり、「生物学原則」の科学的方法で旧慣調査を行い、それに基づいて台湾の社会に適した法律を制定し法治の基礎を確立しました。爾来、極度に劣悪であった治安が「夜不閉戸」夜戸締りが不必要なまでに回復したこともその一例です。又、上下水道を整備し衛生環境の改善により住民の平均寿命は大幅に延び、教育を普及して民智を啓蒙し、水利・灌漑・道路・鉄道・港湾・郵便・電信等、経済発展と工業化に必要な基礎をつくりました。私が後藤新平先生の胸像をつくったのは、その功績に感謝の念を表し、台湾の人達にも知ってもらいたいためです。加えて、この胸像を日本に寄贈するのは、日本の皆様に、台湾の近代化と今日の繁栄に貢献した多くの先達、例えば殖産(特に製糖工業)に力を尽くした新渡戸稲造博士、蓬莱米の父と言われた磯永吉博士、日月潭ダムをつくり、不毛の嘉南平野を潤した八田与一技師、そのほか朝鮮で化学工業を興された野口遵、孫文の革命事業に生涯を捧げた宮崎滔天、印度・ビルマ・東南アジア各地の独立を支援した人びとが海外に残された輝かしい業績の過去に対する事実を思い起こし、戦後失われた民族としての誇りと自尊心を取り戻してもらいたいからです。 1999 年2月吉日 許 文龍 誌す

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