後藤新平

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  1. 林 久治 - 返信

    後藤 新平(1857 年7 月24 日 – 1929 年4 月13 日)は水沢の出身。日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7 代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3 代学長を歴任した。 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した。
    後藤伯記念公民館は日本で初めての「公民館」として知られている。 昭和16年(1941)11月に建設され寄贈されたもの。寄贈者は後藤新平と親交があった当時の読売新聞社社長正力松太郎であって、新平の13回忌にあたって、個人に対する旧恩感謝の意をこめて贈られたもの。
    本像はボーイスカウトの服装をしており、1929 年4月3日に東京聯合少年團が贈ったもので、倉林正雪と津田眞瑞の合作である。後藤は1922 年に、初の全国組織「少年団日本連盟」を結成して、初代の総裁に就任している。

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