川口熊浩

場所:中川郡幕別町古舞736-4 (林の奥)
画像提供:ナランチャさん
※この銅像の情報提供があったのは2017年であり、現在は林が伐採されて銅像が撤去されている可能性がある

「川口熊浩」は、幕別町札内の「富士コンクリート」の社長(創業者)。
銅像のある現地で銅像台座背面と近くに警告板から同社の係りを知りました。
山間の林の中にある同地は、川口氏の所有する馬の放牧場としていたと思われる。
「川口熊浩」は地元新聞社の十勝企業人名カ鑑にも載る方でしたが、馬との関わりに関する資料は見つかっておりません。
銅像全面に「創業者」とあることから次代の会社絶頂期に馬を愛した川口氏の想いに報いるため、この地で建立したのではないかと思われる。
銅像背面より奥へは人の手が加えられた跡(牧場)や給水施設らしきものがありました。
同社の破産により放牧場から馬は消え、元の山林へと戻ろうとしている同地ですが、銅像らしからぬ(?)いでたちの氏の姿から自由奔放そうな人柄が感じられました。

十勝毎日新聞 1996年9月10日(一部要約)
【帯広富士コンが和議申請 負債総額は40億円。管内では過去最大規模】 
コンクリートブロック、生コン製造の帯広富士コンクリート製品は9日、釧路地方裁判所帯広支部に和議を申請した。
業績低迷と本業外への投資が響き、5日には不渡りを出すなど資金繰りが悪化していた。
負債総額は40億円と管内では過去最大規模。 
同社は1963年設立。資本金2300万円。
本部(幕別町)のほか、釧路、旭川、室蘭など道内に生産・営業拠点を設け、ピークの70年代後半から80年代前半にかけては年商38億円に上るなど
管内のトップメーカーに成長した。
また、89年には札内北町にレジャー施設「ヴュホーク城(富士ベアーランド)」を建設するなど、話題を集めた。
しかし、創業社長が死亡した翌90年ごろから主力となっている護岸ブロックの需要が低迷し、生コンの価格競争も激化。
ここ数年、18億前後の年商にとどまり、96年3月期決算では3億8700万円の赤字を計上していた。 
同社は遊休資産の売却や新商品の開発などで立て直しを図っていたが、バブル期のレジャー投資や不動産投資による借入金で膨らんだ債務超過の体質を
改善できなかった。 負債のうち、30億円余りは金融債務で、連鎖倒産など他企業への直接的影響は少ない模様。同社は生産・営業を続けている。

現在、地元に同社の痕跡は見当たらず、時代とともに住宅地へ置き換わっていったようでした。
「破産」「倒産」で論じてしまえばそれまでですが、北海道の発展を担った一企業であることは間違いないでしょう。

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