板額御前

場所:新潟県胎内市 中条駅
建立年月日:平成13年10月14日
作者:山﨑正義

板額御前は、平安時代末期~鎌倉時代初期の人物。平家方の豪族:城(じょう)一族の姫君でした。
源頼朝によって平家が滅ぼされ城一族は没落し潜伏を余儀なくされていました。鎌倉幕府が成立し2代将軍・源頼家の時代になった1201年、鳥坂城に立て籠った城一族は鎌倉幕府に叛逆の狼煙を上げました。

中でも弓の名手であった板額御前は百発百中の腕前で鎌倉幕府軍を射抜いて敵軍から恐れられたと伝えられます。
しかし、遂に太腿を射抜かれて、城一族の叛乱も鎮圧されてしまいました。
奮闘した板額御前の雄姿を見たいと将軍・頼家から命令を受けた幕府軍は板額御前を鎌倉に連行します。

将軍の前でも物怖じせず天晴な態度であった板額御前に一目惚れしてしまった鎌倉御家人の浅利与一(義成)という人物がいました。
叛乱の主要メンバーとして死罪になるところを将軍に直訴したとのこと。
将軍・頼家も浅利与一の情熱に負けて妻にすることを許しました。
板額御前は、浅利与一の領地:甲斐国(山梨県)で夫と仲睦まじく暮らしたと伝えられます。
板額御前の銅像は、城一族が立て籠もった鳥坂城址(鳥坂山)方面を眺めるように立っています。

1 comment

  1. Pingback: 浅利与一(中央市) – 日本の銅像探偵団

Leave Comment