小林虎三郎と米百俵の群像(長岡市)

場所:長岡市 ハイブ長岡
建立年月日:平成3年
制作者:長岡市美術協会(米百俵群像制作委員)

『米百俵』とは 小林虎三郎による教育に関する故事。
「目先のことにとらわれず、明日のために行動する」ことの象徴として語られています。
山本有三による戯曲で有名になりましたが、戦時中は軍部により反戦の戯曲とされて絶版になりました。
終戦30年後に復刻され、平成では内閣総理大臣「小泉純一郎」が所信表明演説で、この『米百俵の故事』を引用したことで一躍有名になりました。

この銅像群の中心に座っている人物が小林虎三郎です。
戊辰戦争で敗戦した長岡藩領内は焦土と化したため財政難に見舞われます。
このため窮状を見かねた長岡藩の支藩:三根山藩から米百俵が贈られました。藩の参事である虎三郎は、藩士に与えずにこの米を売却し教育のため学校設立のために使うことを決定。
食べるものもなくのどから手が出るほど食べたい米百俵をすぐに分けるように小林虎三郎に詰め寄ります。
その際に藩士を「この百俵の米を今食べてしまえば、すぐなくなるが、明日のために教育に充てれば 一千、一万倍になって返ってくる」という言葉で諭し長岡を再興させたというエピソードです。

「早く米を分けろ!」と虎三郎に詰め寄る藩士たち。今にも切りかかりそうな迫力です。

その主犯格の藩士の後ろから 「やんややんや」と野次を飛ばす別の藩士たち。

そんな藩士たちを懸命に諭している小林虎三郎と家臣たち。
背後には日本刀をイメージした石柱で、刀にも勝る虎三郎の強い意志にも見えました。

そして傍らで大人たちの様子を見つめる少年の像があります。
これは「米百俵の精神」を引き継ぐ新しい世代の象徴として描かれています。
長岡にはこんな素晴らしい精神が引き継がれています。

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