設置場所:徳島市南二軒屋町2-4-55 徳島視覚支援学校・校庭 建立時期:1935年建立(戦時供出)、1957年再建 製作者:矢野秀徳(「二十四の瞳群像」の作者) 画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯:五宝先生(1863-1939)は阿波国名東郡(現・徳島市)に生れ,幼少期に五宝家の養子となりました。養父は眉山の山裾にある八幡神社などの宮司であり地主でした。 先生は,1890年4月,26歳の時,新町小学校に訓導として赴任しました。(折しも,同年10月に,小学校令が改正され,全国市町村に盲唖学校設置許可が明記されました)1894年10月,新町小学校にひとりの唖児が入学し,五宝先生の盲聾唖教育が始まりました。1896年,2名の聾唖児のために,放課後,安住寺で,特別教育を始めました。1905年,徳島県知事の認可を得て,私立盲唖学校を設立し,盲生3名が入学してきました。1931年,文部大臣の認可を得て,徳島県立盲聾唖学校を設立し,初代校長に任命されました。1932年,新校舎の設計図を仕上げ退職しました。69歳でした。1933年,1月6日,名東郡八万村(現在位置)に新校舎が完成しました。五宝先生は,明治,大正,昭和に至る半世紀を,過酷な状況の中で盲聾唖教育を切り拓くために,尽力されました。台座の題字は,五宝先生の教え子でもあった,当時の徳島県知事,原菊太郎氏によるものです。