喜田貞吉(小松島市)

設置場所:徳島県小松島市櫛淵町 八幡神社鳥居前
建立時期:2000 年10 月7日
製作者:京都市・大杉直
画像提供:林 久治⇒銅像探索記/f
設置経緯(台座の銘文):文学博士喜田貞吉(1871-1939)
天馬空を駆けるが如き史学の泰斗。文部省図書編集官。東京、京都、東北各帝国大学の講師教授。法隆寺論争、南北朝正閠論争、や同和問題、民族問題の探究を通じて、歴史学を国民のものとして闘い抜かれた碩学。明治4年小松島市櫛淵町生。   
平成11 年10 月 小松島市教育委員会・櫛淵公民館
贈 京都市東山区 中西傅吉 中西石太郎 中西吉太郎

1 comment

  1. 林 久治 -

    本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。
    喜田貞吉:没年月日:1939/07/03
     東北帝国大学講師文学博士喜田貞吉は病気の為7月3日逝去した。享年69歳。博士は法隆寺再建論を持してさきには故関野貞博士、最近は足立康博士と論争を交へて、夙に学会にその令名が喧伝して居た。しかし博士は唯に法隆寺問題のみではなく、歴史一般に就いても博覧強記を以て聞え、著書には「帝都」「国史の教育」その他数種があり、関係雑誌に発表された研究論文等は無慮一千余に達し、又自ら「民族と歴史」「社会史研究」「東北文化研究」の刊行を主宰してゐた。尚この間教職にあつて後進の誘掖にあたり、文部編修官となつて教科書の編纂等に尽す処があつた。左にその略歴を掲げる。
     明治4年徳島県に生れ、明治29年東京帝国大学文科大学国史科を卒業、同治33年早稲田専門校講師、同34年国学院大学講師を嘱託され、同年文部図書審査官に、36年には文部編修官に転じ44年退官した。この間に39年には東京帝大、41年には京都帝大文科大学講師を嘱託され、42年文学博士を授けられた。大正9年京都帝国大学教授に任ぜられ、13年退官同年東北帝大、京都帝大講師となつて現在に至つた。

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