片山哲(藤沢市)

設置場所:神奈川県藤沢市鵠沼東8-1 藤沢市民会館前庭
制作者:菅沼五郎(1905 – 1999)、東京美術学校で朝倉文夫に彫刻を学んだ。藤沢市在住。
制作時期:1972年5月
建設者:片山哲先生を顕彰する会
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:片山哲(1887年7月28日 – 1978年5月30日)は、和歌山県西牟婁郡田辺に生まれる。社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(10期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、内閣総理大臣(第46代)、民主社会党常任顧問を歴任した。片山は第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。卒業後、YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。社会民衆党の結成に参加し、書記長に就任した。1930年の第17回総選挙に旧神奈川2区から出馬して初当選。以後非連続ながら当選10回を数えた。1945年に日本社会党が結成されると書記長に就任、翌年には日本社会党委員長(初代)に選出された。1947年の第23回総選挙で日本社会党が143議席を獲得し、衆議院で比較第一党となる。これを受けて衆議院の首班指名選挙では、片山が内閣総理大臣となる。在任期間は、1947年5月24日から1948年3月10日まで。1960年1月24日、社会党を離党した西尾末広らによって民主社会党(民社党)の結党大会が開かれ、片山を含む衆議院議員38人、参議院議員16人が結党に参加した。1969年10月1日、神奈川県藤沢市から第一号の名誉市民として顕彰される。
台座背面に次の彫文がある。(画像提供:林久治)
片山哲氏、明治二十年紀南に生る。こよなく湘南を愛し、居を構えてより五十有余年、清節道を守って湘南の人となる。市民諸君より推されて衆議院議員に当選する事十一回、昭和二十二年五月には内閣総理大臣に就任し、戦後の難局処理に当たる。その后外遊数回、世界の人物と風光に接し、益々わが湘南の風物、世界に秀でたるを信ず。この真白き富士の嶺、緑の江の島の中心たる藤沢市の第一号名誉市民に選ばれたる事を、生涯の光栄として喜び居れり。
一九七二年五月 林 大作 識

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