古賀政男(川崎区)

設置場所:神奈川県川崎市川崎区大師町4-48 川崎大師信徒会館前
制作者:立体写真像 発明者 盛岡勇夫
制作時期:1984年12月21日
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:古賀政男(1904年11月18日 – 1978年7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。本名は古賀正夫、福岡県生まれ。1923年に明治大学予科に入学し、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。1929年春の大学卒業後は指導者となり音楽活動を続けた。6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で「影を慕いて」(ワルツ・ギター合奏)を発表。以後、昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し、数多くの流行歌をヒットさせた。生涯で制作した楽曲は5,000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。1978年7月25日、東京・代々木の自宅で急性心不全により死去、享年73。その死から10日後の8月4日、前1977年の王貞治に次ぎ史上二人目の国民栄誉賞を贈られた。
本像台座の碑文には、以下の記載がある。(画像提供:林久治)

古賀政男先生を偲びて
明治三十七年福岡県三潴郡田口村(現・大川市)に出生。少年時代より音楽的英才の誉高く、明治大学在学中マンドリン俱楽部を創設。昭和三年名曲「影を慕いて」の発表以来、生涯三五〇〇曲以上にも及ぶ、その宝玉の歌謡曲は、ひろく日本人大衆の間に「古賀メロディー」として親しまれ、国民的大衆音楽に貢献せる功績により従四位勲三等瑞宝章、国民栄誉賞など多くの賞を贈らる。
先生は、当山本尊厄除弘法大師に帰依篤く、大いなる霊験の法悦に感激し、報恩謝徳の誠心を以て「川崎大師賛歌」を作曲し、昭和五十二年三月二十一日これを献歌さる。
日本歌謡界に燦然と輝く巨星古賀先生は、昭和五十三年七月二十五日遂に逝去さる。
当山が宗祖弘法大師一、一五〇年御遠忌並びに吉例大開帳を奉修するこの年、あたかも先生の七回忌を迎えるにあたり、追慕してこの胸像を建立する。
昭和五十九年三月二十一日
大本山川崎大師平間寺貫主
第四十四世 中興第一世 大僧正 高橋隆天

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