場所:香南市 夜須中学校
建立 1940年(昭和15年)
画像提供:でぶぽこさん

1872年(明治5年)2月26日生まれ、1939年(昭和14年)12月9日没。
小学校教員として香美郡下で奉職。
1903年(明治36年)に夜須小学校校長として赴任し、自発主義教育を根幹とする画期的学校経営を推進して著しい教育効果を挙げ、1909年(明治42年)に文部省より高知県下初の優良小学校として選奨された。
高知市内の小学校や大阪市内の小学校の校長を務めている。
英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語を独学で修得し、欧米の哲学、心理学、教育学を学び、東洋哲学にも詳しく、アメリカ・プラグマティズムの代表的理論家デューイの学説に傾倒し、「西山式」と呼ばれる独自な学習指導法を確立した。
1937年(昭和12年)に北支に渡り天津の教育行政顧問となるが、病に倒れ帰国し、1939年(昭和14年)に死去した。
教育学者として大正末期から昭和前期にかけ、哲学、心理学、教授法にわたる著作を刊行し、「近代の高知県が産んだただ一人の教育学者」(近代高知県教育史)とも称されている。
この胸像は日中両国有志により建立された。
