長谷川良信(豊島区)

設置場所:豊島区西巣鴨2-22-16 淑徳巣鴨中学校・高等学校正門内
制作者:多田瑞穂(芝学園の渡辺海旭像の制作者)
制作時期:1967年10月11日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:長谷川良信先生(1890年10月11日 – 1966年8月4日)は、茨城県笠間の旧家に生まれ、幼時仏門に入りのち宗教大学に学ぶ。「貧民街の聖者」として知られる賀川豊彦、日本福祉大学創立者である鈴木修学と並び、宗教理念にもとづいて実践を行なった三大社会事業家の一人とされ、「東の長谷川、西の賀川、中部の鈴木」と称された。終生、肺結核など数々の病に悩まされながらもセツルメント活動や婦女教育においては実践を重視し続け、日本の近代社会福祉の礎を築いた。晩年は浄土宗特命開教使としてブラジルへの布教などのために何度も太平洋を渡航しつつ、後継者の育成のため教育事業にも尽力した。1919年「マハヤナ学園」(淑徳巣鴨中学校・高等学校の前身)を創立し園長に就任、1965年淑徳大学を創立するなど、大乗淑徳学園傘下の幼稚園から大学に至る諸学校設立運営。1962年大正大学名誉教授。
本校創立者長谷川良信先生は明治二十三年十月茨城県笠間の旧家に生まれ幼時仏門に入りのち宗教大学に学び念仏の信仰篤く深く学問を愛し至誠と熱情をもって教育事業に生涯を捧げられた
先生創設になる大乗淑徳学園傘下の幼稚園から大学に至る諸学校設立運営の目的は大乗仏教精神による福祉社会の実現にありその教育理念は仏教精神によって陶冶された母の育成すなわち仏教による女子教育の徹底にあった 本校は正にその不動の信念に基づいて創立されたものであり今日の隆盛発展は実に先生粒粒辛苦の結晶である 昭和四十一年八月四日東京において逝去された
昭和四十二年十月十一日 巣鴨女子商業高等学校 長谷川良信先生胸像製作委員会

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