By ヒロ団長2021年4月3日Category: 13.東京都の銅像, 23区:城北, 豊島区Tags: キリシタン, 外人 設置場所:東京都豊島区西池袋3-34-1 立教大学タッカーホール入口脇制作者:三坂耿一郎(みさか・こういちろう)除幕式:1971年11月3日画像提供:飯坂陽治さん林久治⇒銅像探索記/f 設置経緯:立教専修学校の閉鎖ののち、中学校の卒業生を受け入れる立教独自の高等教育機関の必要性が痛感されるようになり、ロイドの後任であるタッカー学院総理のもと、1907年、専門学校令にもとづく「立教大学」が設置されました。築地の校地には、生徒数500名を超える中学校に、新たに大学が加わったため、敷地の狭隘化が深刻な問題となりました。そのため、大学の今後の発展のために、現在の池袋校地(立教通り南側のみ)が適地とされ、1910年に購入されました。その後、タッカーの後任であるライフスナイダー総理のもとでキャンパスプランが練られ、1918年、主要な建物が完成したのを機に、大学が池袋へと移転しました。 タッカー (Henry St.George Tucker、1874.7.16-1959.8.8)は、米国聖公会総裁主教、立教学院総理。ヴァージニア神学校を卒業後、1899年来日。弘前で牧会。1903年、アーサー・ロイドの後任として立教学院総理に就任し、1907年には専門学校令による立教大学を設立した。さらに、大学を東京築地から池袋に移転させるための土地獲得に精力的に奔走、今日の立教大学の基礎を築いた(立教大学の中興の祖)。1912年、京都地方部主教に選出されて立教を辞した。1923年帰国、1938年から1946年まで米国聖公会第19代総裁主教を務めた。