玄奘三蔵(武蔵野市)

設置場所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-26 月窓寺境内
元型:平沼桐江(本名は弥太郎、1892—1985)が制作し、鳥居観音に1964年3月に設置。
開眼時期:1980年4月8日 吉祥閣落慶記念
画像提供:ヒロ団長
林久治⇒銅像探索記/f

玄奘三蔵(602年 – 664年3月7日)は、唐代の中国の訳経僧。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(ちんい)。諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など。玄奘三蔵と呼ばれ、鳩摩羅什と共に二大訳聖。629年にシルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダ僧院などへ巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。また、インドへの旅を地誌「大唐西域記」として著した。
設置経緯:本像横には以下の説明文が掲示されている。(画像提供:林久治)
玄奘三蔵法師(西紀602-664)
一般には、西遊記で知られておりますが、中国の僧で、求法の熱意強く、あらゆる苦難の末印度に渡り多くの仏典を中国に持ち帰り、その訳経に生涯、専念精進しました。尚この像は当山の吉祥閣落慶を記念して、名栗の鳥居観音願主 平沼弥太郎氏の御厚意により、同氏作像の元型より鋳造させて頂きました。 昭和五十五年四月八日 開眼供養
本像土台の彫文 (画像提供:林久治)
昭和39年3月 平沼桐江 題字 石原福士
平沼弥太郎(雅号は平沼桐江、1892年6月12日- 1985年8月12日)は、日本の林業家、実業家、政治家。参議院議員(1期)、埼玉県入間郡名栗村長。埼玉県秩父郡名栗村(のち入間郡名栗村、現:飯能市)で、山林地主・平沼源一郎の長男として生まれる。1912年、京華中学学校を卒業し、その後、山林業を継承した。鳥居観音を開基したことでも知られる。

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