所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部資料展示室
画像提供:飯坂陽治さん
K.W.ハラタマ博士
オランダの化学者ハラタマ博士(K.W.GRATAMA/1831~1888)は幕末の激動期に大阪で「舎密(せいみ)局」を開設し、講義と化学実験による本格的な近代化学を教えた方で、その流れは大阪大学にもつながっています。ハラタマ博士の胸像は大手前のNHKそばの舎密局跡にもあります。
緒方洪庵
緒方洪庵(1810~1863)は岡山の下級武士の生まれで、大坂、江戸、長崎で蘭学を通して医学を主軸に学び、大阪で適塾(蘭学塾)を開塾。医師としては天然痘に対する種痘事業やコレラの治療に尽力し、また教育者としては多くの開明的な人材を育て明治維新の一つの原動力となった方です。適塾は大阪大学の源流となっています。
佐多愛彦
佐多愛彦氏(1871~1950)は鹿児島県の出身で、ドイツに留学して病理学、細菌学を学び、結核の研究で知られ、大阪府立医学校長、大阪医大学長を歴任し、大阪大学の礎を築いた方です。
石原修
石原修氏(1885~1947)は兵庫県伊丹の出身で、労働社会衛生学を社会政策的に実践した草分けの一人であり、女工と結核の蔓延調査などから労働環境の重要性を指摘し工場法の施行に貢献した方です。大阪大学では衛生学の教授として現場見学をまじえた労働社会衛生学や大気汚染調査などの実践的調査を取り入れた環境衛生学は医学生に大きな影響を与えたとのことです。