設置場所:大阪市中央区大手前4-1-32大阪歴史博物館 10階休憩室
設置時期:1985年10月 建立
設置者:山根徳太郎先生顕彰会
制作:河合隆三(1935年大阪市生まれ、1962年東京芸術大学彫刻科卒、元大阪芸大教授)
題辞:大島靖(1915- 2010、大阪市長:1971-1987)
画像提供者:飯坂陽治さん/林久治⇒銅像探索記
山根徳太郎先生の略歴:山根徳太郎(1889年1月12日 – 1973年7月28日)は、大阪市西区に生まれる。東京高等師範学校、京都帝国大学文学部史学科卒業後、1928年大阪商科大学(現:大阪市立大学)予科教授に着任、1949年新制大阪市立大学法文学部(現:文学部)教授となる。1952年の定年退官後は難波宮発掘に力を注ぎ、文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した。「日本のシュリーマン」と称えられていた。
設置経緯:本像台座側面の銘文より
難波宮跡は日本古代史上最も重要な遺跡の一つである。山根徳太郎先生は一九五二年以来その調査発掘に全力を傾け苦心の末宮跡の所在を闡明せられた。ここにその功績を記念し知友門下二四一名の醵金により先生の像を建てる。像の制作は河合隆三氏、正面の題辞は大島靖大阪市長の書。
一九八五年一〇月 山根徳太郎先生顕彰会