場所:宇和島市 保田公園
建立年月日:昭和34年4月
画像提供:びがろうさん

昭和初期の宇和島市出身の政治家。
薬師神岩太郎氏は宇和島市宮下に生れ侠骨と号す
資性英明剛直 年少より好学大志を抱き農耕の間蛍雪の功を積む
長じて「南予之青年社」を起し地方文化活動に挺身す
又来村長 宇和島市議会議員七期 愛媛縣議会議員二期
其の間市及び縣農業会長に推され地方産業経済の振興に尽す
昭和二十一年衆議院議員に当選農政の権威として重きをなし特に段畑農民の苦境を救済すべく急傾斜地帯農業振興臨時措置法を自ら提案成立せしめ段畑農民の慈父と仰がる
昭和二十八年八月二十七日衆議院建設委員長として全国災害地視察の途次 過労の為病を得東京都の自邸に卒す 享年六十四歳
同日氏の生前の功績を嘉せられ従六位勲四等を追贈せらる
氏は清廉身を持し権勢に屈せず私事を顧みることなく国事に奔走
まことに政治家の亀鑑たり 郷党またその徳を慕ひ 永く其の功を顕彰すべく 有志相議りて氏の面影を彫み地を卜して之を建つ昭和三十九年四月 建設委員長 山本友一 撰
台座に記載の文字を転機
宇和島市・天赦公園に建立されていたが、
令和7年(2025年)4月17日に伊達博物館の移転工事のため、保田公園に移設されました。
宇和島市ホームページ・新伊達博物館建設工事の進捗状況について
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https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/new-datehaku/250401.html
