村山実(尼崎市)

建立時期:2004年8月15日
現在地に設置:2015年7月1日
画像提供:まるこさん
林久治⇒銅像探索記/f

画像提供:林久治
設置経緯:村山実氏(1936年12月10日 – 1998年8月22日)は、兵庫県尼崎市出身(神戸市北区生まれ)のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。阪神タイガースでは投手として2度のリーグ優勝に貢献。個人ではNPBで合計15個のタイトル(8個) ・主要表彰(7個)を獲得している。闘志むき出しで全身を使った「ザトペック投法」で知られている。2004年8月、出身校である尼崎産業高等学校(旧・住友工業高校)に村山の投球フォームの銅像が建てられた。本像は、卒業生が「後輩の励みになるように」と約1000万円の寄付金を募って校門近くに建立されたもので、高さは台座も含めて2.65mと、ほぼ村山の等身大に近い造型であった。ベースとなったのは1959年に後楽園球場で行われた天覧試合で長嶋茂雄を相手に投げている瞬間で、尼崎産業高校が2005年に尼崎市立尼崎東高等学校との統合が決定、2011年春に尼崎市立尼崎双星高等学校として新発足し、学校は移転した。移転後も銅像は敷地に残されたが、兵庫県は兵庫県立尼崎総合医療センターを学校跡地に建設することになり、2012年には病院完成後に敷地内に村山の銅像を設置することが決定。そして、2015年7月1日に開院した同医療センター正面玄関前の遊歩道に銅像が再設置された。
左図は「本像台座正面の題字」で、「道一筋 石舟」との直筆である。「道一筋」は村山氏の座右銘で、彼の色紙やサインボールに書かれている。
右図は、「本像台座側面のプレート」である。泉原保二(1941年10月6日 – 2024年11月15日)氏は尼崎出身の衆議院議員であった。抜水政人氏は1955年鹿児島県に生まれる。1976年嵯峨美術短期大学立体造形科卒業。1981年京展出品。(京都市美術館、以後1996年まで)1983年彫刻NOA工房を設立。
画像提供:林久治
本像台座背面のプレート:「村山実投手の全記録」が書かれている。

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