場所:兵庫県神戸市須磨区 須磨寺・墓所内
建立年月日:昭和7年5月
画像提供:河内太郎さん

碑文に記載の漢詩を直訳:
天埜源吉翁は安政6年(1859年)に大阪府西成郡九条村に生まれ、父は善兵衛翁であり、源吉はその長男である。後に兵庫へ移り、鳶職の仲間の中で頭領となり、苦労を重ねて財を築いた。
翁は温厚で沈着、寡黙ながらも寛大で人を受け入れる器量を持ち、若くして消防の世界に身を投じた。火災現場に出入りし、身体を傷つけ、髪や肌が焼けても意に介さず、義侠心と勇気により人々の尊敬を集めた。
大正6年には兵庫消防組の組頭に昇進し、8年には西署に所属して多くの施策を立案。昭和2年には大日本消防協会の第1回代議員に選ばれ、昭和4年には兵庫県副支部長に就任し、名声を得た。昭和6年には全国180万人の消防組員の中から、功績が顕著であるとして功績章を授与され、人々の誇りとなった。
消防界において54年間にわたり活躍し、人命救助などの功績により、これまでに4度表彰を受けた。また、私財を投じて公益に貢献することを喜びとしていた。まさに模範とすべき人物である。
翁は古稀(70歳)を過ぎて勇退し、後進に道を譲った。まさに「功成り名遂げた」人物である。そこで、親しい友人たちはその偉業を後世に伝えるため、銅像を建てることを計画し、私に文章を依頼した。
ああ、この企ては翁個人の栄誉にとどまらず、消防界の人々の志を奮い立たせるものである。私は文才に乏しいながらも、この志に感じて筆を執った。
