By 林 久治2024年3月24日Category: 00.乱歩(林久治), 13.東京都の銅像, 23区:都心, 港区Tags: 幕末・明治維新, 皇族 設置場所:東京都港区芝公園4-7-35 増上寺安国殿内制作者:三代目慶寺丹長制作時期:1933年画像提供:林久治⇒銅像探索記/f 設置経緯:和宮(1846年7月3日-1877年9月2日)は、親子(ちかこ)内親王といい、仁孝天皇の第8皇女として生まれました。1851年、6歳で有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王と婚約しました。しかし、大老井伊直弼らを中心に公武合体のため降嫁が計画され、1862年2月11日には江戸で14代将軍家茂との婚儀が行われました。しかし、将軍家茂は、第二次長州攻撃のため三度目の上洛中の1866年7月20日、大坂城で病死しました。21歳の和宮は江戸城にとどまり、12月に薙髪して静寛院宮と名のりました。江戸城開城後は江戸に留まり、大政奉還、江戸城開城など新旧体制の円滑な移行や、その後の徳川将軍家の処遇、旧幕臣の救済に貢献されました。1877年8月から、持病の脚気治療のため、箱根塔ノ沢温泉に滞在し、9月2日そこでなくなりました。亡骸は、家茂がねむる増上寺に葬られました。等身大といわれるブロンズ製の御像が増上寺安国殿左脇壇に安置されております。本像は1926年に増上寺で修された静寛院宮50回忌法要ののちに企画され、「和宮様の奉賛顕彰と日本女性の婦徳の涵養」を目的に、1933年正月、鋳造師・3代目慶寺丹長により制作されました。宮中の式日に参内する姿を表したとされています。 設置場所:東京都港区芝公園4-7-35 増上寺安国殿内