日晨上人(板橋区)

設置場所:東京都板橋区西台1-13-12 信泉寺本堂前
制作者:不明、
設置時期:1975年3月16日
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

日晨上人の略歴:日晨上人(本名:田中清長、1899年10月26日-1984年8月31日)は、東京府麻布区龍土町で誕生。開導嗣法第四世日教上人より「清長」と名前を頂き十六歳にて得道。その後九年のご奉公を経て、1923年には二十五歳で乗泉寺住職に就任。それ以後、麻布乗泉寺や世田谷別院の開筵式(かいえんしき)をつとめるなど寺観を整え、弟子の育成にも力を入れて東海から北海道までの弘通発展に尽力。太平洋戦争中には、日歓上人の遷化や乗泉寺本堂が戦災に遭うなど大変な時期もありましたが、終戦後の1947年3月には法華宗より独立、本門佛立宗として宗教法人格取得を果たし、さらに、東京が一層発展してゆく将来像を勘案し、1950年5月には乗泉寺を渋谷鴬谷町に移転。日晨上人は数々の大役を宗門より拝命し本門佛立宗の発展にも貢献、その後1962年10月には、開導嗣法第十五世講有位を継承。講有在任中も宗門の発展に尽力し数々の功績を残した。1966年には講有位を退任、以後「佛立信心像」「ある角度から」など、数多くの著述を遺して後進の指導にあたりましたが、1975年に乗泉寺住職を退任され、弟子である日尚上人に後任住職を託した。退任後も、高祖七百回御遠忌や新宗制の制定等数々のご奉公に力を注がれ、1984年8月31日に遷化。
設置経緯:信泉寺は1966年に乗泉寺(渋谷区)より分かれて創建。開山は日晨上人(1899-1984)。本像台座背面の碑文には、以下の記載がある。
当信泉寺は本門佛立宗第十五世講有日晨上人の開創で上人は昭和四十二年から五十年まで在任して退かれました 信泉寺一統はその高恩に鳴謝してこの寿像を謹製した
昭和五十年三月十六日 二世住職 上田日聚  事務局長 吉口市平

設置場所:東京都板橋区西台1-13-12 信泉寺本堂前

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