役行者(新宿区)

設置場所:東京都新宿区西早稲田2-1-14 放生寺本堂前の神変灯籠堂 
制作者:不明、設置時期:不明
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f

設置経緯:光松山放生寺は寛永18年(1641)に高田八幡宮の別当寺として開創された寺院です。當山の寺号になっております放生会は、元々は八幡放生会と言う名前で各地の八幡宮で古くから行われていた行事であります。放生とは捕らえられた魚介、鳥、動物などを殺生をしないで池、川、山林に放す法事であり、その起源は古くインドにおいては釈迦在世の時代から行われていたと伝えられ、我が国においては養老四年(720)宇佐八幡宮で行われた放生会が日本最初と言われております。このように放生会は大変歴史が古く、神仏混淆の時代より神、仏問わず行われておりました。當山でも毎年体育の日に放生会を厳修致しております。常日頃私たちの食膳を賑わしいのちの源を養う要素となったこれらの魚介、鳥、動物等に感謝の心を顕して塔婆を供え放生供養法を厳修してそれらの霊を慰め 法会終了後は感謝の気持ちを持って境内の放生池に魚を放します。當山では神変大菩薩を、これまで石の祠でお祀りしておりましたが、平成22年(2010)12月より篤信檀信徒の奉納祈願灯籠を納めた神変灯籠堂を建立しお祀り致して居ります。
神変灯籠堂の横に説明板があり、それには次のように書かれている。
神変大菩薩
神変大菩薩は元の名は役の小角または役の行者と申され今より千三百年程前に大和国葛上郡掖上(わきがみ)村の高加茂家にお生まれになりました 御一代記に依れば大和の葛城山を根拠に吉野金峰山 大峰山 富士山等合わせて九十余峰を開き神仏習合に基づいた修行をされ修験道の開祖と仰がれた方で 法力の霊験不思議なこと古今を絶すると称されております
寛政十一年(1799)光格天皇より神変大菩薩の諡号(しごう)を賜りました
山野を駆けめぐって修行されたことに因み 特に足腰の弱い方をお救い下さると言われており 當山では「ぞうり」の懐中御守 「祈願の絵馬」を本堂にて授与しております
お陰を頂かれた方々も多くおられます
足腰の弱い方は月々にお詣りになり お陰をお授かり下さい
御真言 南無神変大菩薩  光松山 放生寺
設置場所:東京都新宿区西早稲田2-1-14 放生寺本堂前の神変灯籠堂

Leave Comment