設置場所:東京都港区赤坂1-9-13 三会堂ビル1階ロビ-
制作者:朝倉文夫
設置年:1927年
画像提供:林久治⇒銅像探索記/f


三会堂ビルと石垣隈太郎翁
明治十四年から明治四十五年にかけて、明治政府の殖産興業の方針の下、農林水産業の振興発展を目的として相次いで創設された大日本農会、大日本山林会、大日本水産会の「三会」は、明治十六年、京橋区木挽町に合同の事務所を設けました。
明治二十四年に至り、三会は、当地、赤坂溜池に移転し、合同の会堂を設け、明治三十一年にこの会堂を「三会堂」と命名しました。
その後、明治三十七年には、新たな会堂を建設しましたが、大正十二年の関東大震災により同会堂は灰燼に帰し、関係者一同その再建について途方に暮れるところとまりました。
大正十四年に至り、我が国北洋漁業の先覚者「石垣隈太郎」翁から当時の金額にして百万円相当の私財を、農林水産業をはじめとする産業の発展のために役立ててほしいとの申し出があり、この寄附により、大正十五年「財団法人石垣産業奨励会」が設立され、昭和二年、この地に当時としては珍しい鉄筋コンクリート六階建ての最新式ビルディング「三会堂ビル」が誕生しました。
その後、第二次大戦後の米軍によるビル接収解除を機に、昭和三十九年に財団法人石垣産業奨励会が財団法人農林水産奨励会に改組され、昭和四十二年に現在のビルが竣工し、今日に至っております。
なお、石垣隈太郎翁の名は、当ビル九階に「石垣記念ホール」として残されています。
〈像〉彫刻家「朝倉文夫」作
