場所:仙台市青葉区 三居沢発電所(三居沢交通公園)
画像提供:城月さん
藤山常一1871-1936 明治-大正時代の技術者,実業家。明治4年1月生まれ。田中不二の兄。仙台で野口遵(したがう)とカーバイド製造に着手。のち日本窒素肥料をへて,大正4年電気化学工業を設立し,8年専務。石灰窒素の製造法を開発した。昭和11年1月4日死去。66歳。佐賀県出身。東京帝大卒。
●三居沢発電所宮城県仙台市青葉区荒巻字三居沢にある水力発電所。
1888年(明治21年)、宮城紡績会社によって設立され、現在は東北電力が管理・運用を行っている。記録に残るものとしては日本で最初の水力発電所である。
また、日本で最初のカルシウムカーバイド製造地でもある。1901年(明治34年)、宮城紡績電灯株式会社は電気事業を拡大するために、藤山常一を技師長として迎え入れた。
藤山はかねてより電気エネルギーの利用に関心があり、着任後間もなく重役の伊藤清次郎に進言して、カーバイドの製造を試みた。当時カーバイドは自転車の灯火用としての需要があったが、日本国内では全く生産できず、全て輸入に頼っていた。
藤山は50kVAの変圧器を自作し、会社の倉庫の一角で製造を試みた。
そして1902年(明治35年)、カーバイドの製造に成功した。これを受けて、伊藤清次郎は藤山にカーバイドの製造会社を設立することを認め、同年4月に「三居沢カーバイト製造所」を設立した。
この事業は1905年(明治38年)12月、伊藤清次郎らに引き継がれ、「山三カーバイト」の名で製造が続けられた。
その後、藤山は三居沢の他に全国4箇所の工場を設立し、1907年(明治40年)、野口遵とともに日本カーバイド商会を設立した。